北海道東北部にある「常紋トンネル」をご存知ですか?
明治・大正期、多くの殉難者を出した
北海道開拓史の暗部について・・・
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常紋トンネル 殉難者追悼碑
網走市立 郷土博物館
今年5月、北海道を横断する旅をしたときに、
予てから、とある慰霊碑に手を合わせたいと思っていたので、
少し遠回りでしたが、
北見市の金華(かねはな)信号所(旧金華駅)へ向かいました。
今年3月で、駅としての役目を終え「信号場」にかわっています。
駅舎はそのまま残っていました。
この「金華信号場」は、JR北海道石北本線にあります。
この駅から北へ数キロの常紋峠というところに、
「常紋トンネル(じょうもんトンネル)」という
鉄道専用のトンネルがあります。
(常紋というのは地名ではなく、常呂郡と紋別郡を結ぶことに由来しています。)
不謹慎な話ですが、ここは日本屈指の心霊スポットとして有名な場所です。
この辺りは、北海道の中でも特に寒さの厳しいところで、
全長507mのトンネルを掘るのに3年を要し、
大正3年(1914年)、今から102年前に開通しました。
開通後、鉄道の運転手から、このトンネル付近で
「幽霊を見た」という証言が相次ぎます。
地域住民からも、
「誰もいないはずのトンネル内から人のうめき声が聞こえる」
「トンネル内に全身血まみれの男性が現れる」
「このトンネル付近の駅に勤めた者はノイローゼになる」など、
不可解な出来事の証言が頻発しました。
その為、地元の者は決して近づくことはなかったそうです。
時は流れて・・・
1968年(昭和43年)十勝沖地震で、常紋トンネルの側壁が損傷したため、
1970年(昭和45年)に、その改修工事が行われたのです。
その時、トンネル側壁のレンガの中から、
相次いで人骨が見つかりました。
一説には、数百体とも・・・
トンネルの工事から50年以上が経過していて、
証言は疎らでしたが、
工事の途中で病死した者や、
過酷な労働に耐えきれず脱走した者を殺害し、人柱として埋めたそうです。
明治から始まった北海道の開拓史には、
深い闇の部分が存在します。
広大な北海道の開拓には、
道路や鉄道の整備が急務でした。
そこで、周旋屋といわれる今で言うところの人材派遣のような会社が、
非常に過酷な労働という内容を伏せたまま求人を行い、
労働者は半ば騙されたような形で、北海道へ連れていかれたのです。
そして、「タコ部屋労働」といわれる強制労働を強いられました。
重労働を1日15時間以上も強要され、
質素な食事を立ったままとらされたと云われています。
また、脱走できないように寝所には鍵をかけられ、
労働中は足枷を付けれれることもあったそうです。
身の回りの物を購入するのも、
監禁されている労働現場の売店でしか買えず、
わざと価格を高く設定し、
それにより働いて得た賃金も搾取される仕組みでした。
過酷な労働と栄養不足から、脚気で亡くなる者が続出し、
そういった者や脱走者を見せしめに暴行、殺害し、
道路やトンネルなどに埋めたと云われています。
この常紋トンネルは、その中で唯一、
実際に遺骨が発見された場所です。
この他にも、明治初期には労働力不足から、
網走刑務所などの囚人を道路建設に従事させました。
(網走監獄博物館にて、当時の様子)
あまりに過酷な状況から、
囚人虐待であると批難の声が続出し、
政府は1894年(明治27年)に受刑者による労働を中止しましたが、
民間によるタコ部屋労働は、その後、日本が敗戦を迎えるまで、
続けられていました。
金華信号所から300mほどの場所に、
昭和55年(1980年)
「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建之されました。
かつて、「金華小学校」があった小高い丘にあります。
明治、大正という華々しい近代日本の黎明期の陰に
多くの非人道的な犠牲があったことを忘れてはならないと思います。
殉難者の方々への感謝と冥福を祈り、
手を合わせてきました。
常紋トンネル 殉難者追悼碑
住所:北海道 北見市 留辺蘂町金華
(金華信号所(旧金華駅)から徒歩10分)
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