2016年10月31日月曜日

三式戦闘機 飛燕 川崎重工 復元(レストアPROJECT)


川崎重工の創立120周年記念にあたり、

前身である川崎航空機が製作した「三式戦闘機 飛燕」をレストアし

神戸ポートターミナルで11/3まで展示しています。




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三式戦闘機(以下 飛燕)とは、


皇紀2603年(昭和18年)に採用が決まった大日本帝国陸軍の戦闘機で、


三式というのは、2603年の3から命名されています。


最近ジブリの映画にもなったゼロ戦は、零式艦上戦闘機といって、


皇紀2600年(昭和15年)に正式採用されたので


00年から零式、略してゼロ戦となりました。


また、艦上戦闘機なので空母に配備される海軍の戦闘機です。




今回復元された飛燕は、終戦時に航空審査部(東京)あった機体で、


その後、米軍横田基地、航空自衛隊岐阜基地などを経て、


1986年から、鹿児島県の知覧特攻平和会館で展示されていました。


各部の傷みも酷かったのですが、


今回、製造会社の川崎重工(当時は川崎航空機)が無償で完全復元をするという


ことで、知覧特攻平和会館と合意し、譲り受けたそうです。


現存する完璧な三式戦闘機は世界でこの一台のみです。




数年前に、僕の祖父の戦争体験について記事を書きましたが、


その祖父が当時乗っていた戦闘機がこの三式戦闘機 飛燕でした。


この飛燕でも、多くの日本の若者が敵艦隊へ捨て身の特攻を行いました。


祖父はギリギリのところで終戦になり、今の僕がいるわけですが、


17年前に他界した祖父が、もし生きていたら、


これを見て、どう思うかなぁ…


っと、ちょっと感慨深い気持ちで、しばらく眺めていました。




今回、復元にあたった技術者の方のお話しも聴くことができました。


レストアが完了した後すぐに当時「飛燕」の搭乗員だった


岐阜県の男性に機体を見てもらい操縦席に上ってもらったそうです。


「懐かしいなぁ…」と涙ぐんでおられたとか・・・


ほかにも、復元に際して苦労した点など、いろんな話を聴くことができました。





飛燕の設計は、川崎が誇る飛行機設計者「土井武夫」


日本で初めて液冷エンジンを搭載した最新鋭の戦闘機で、


第二次大戦中、日本軍の飛行機で液冷エンジンを搭載したのは、


この飛燕のみでした。




液冷ラジエーターも細部に至るまで復元。




機体下部のここに搭載されていたようです。




エンジンは、ドイツの名機メッサーシュミットと同じ、


ロールスロイス製液冷エンジン。


なんと過給機が搭載されています。


細かく書きだすとキリがないので、


興味のある方は、こちら→Wiki




操縦席の計器類もはずして、展示されていました。






操縦席のレプリカもあって、


座って疑似体験できます。




それにしても、美しい形をしていますね・・・






これは、もともと試作機なので、外装はされていません。


これを配置された部隊ごとに塗装して実戦で使用していました。


例えば、南方のジャングルを飛ぶことが多い場合は、


全体を迷彩色で塗ったわけです。




何故か、横には川崎のバイク「NINJA」がΣ(・ω・ノ)ノ




今後は、川崎重工の岐阜工場で展示される予定だそうです。


興味のある方は、是非、見学に行ってみてくださいね^^





川崎重工 飛燕復元プロジェクト

http://www.khi.co.jp/120th-Hien/



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